坂東三十三観音
第十五番札所
長谷寺
(白岩観音)
ちょうこくじ
(しらいわかんのん)






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歴代の武将が信仰 坂東観音第15番 長谷寺


2014-07-26

わたくし、もぐまま、暑い夏の巡礼はキツイので控えます、と
宣言いたしました。
関東地方、梅雨が明けました。
「梅雨明け十日」といって、安定した晴天が続き、猛暑に見舞われることも
あるそうです。

2001年7月24日に、40.0度というとんでもない記録を叩き出した
群馬県前橋市のお隣の市、高崎市に来ちゃってます。
なんでまたこんな時にこんなところへ来たんやろ。
どういうお導きなんでしょう、
ともかく一年で最も暑い時期に、猛暑スポットにいるのです。

もぐぱぱさんと早朝に横浜を車で出発し、坂東三十三観音第十五番のお寺、
長谷寺(ちょうこくじ)、白岩(しらいわ)観音に到着しました。
榛名富士の麓で、そこそこ標高があり、眺めの良いところです。

お寺の前の駐車場に車を停めて外に出ると、
ジリジリと照りつける太陽の光、
湿気を含んだ息詰まるような重い空気に包まれました。
車の外気温の温度計では途中35度のポイントがありました。
風もなく、体感温度的には40度以上の感じです(汗)。

駐車場から見た長谷寺

長谷寺1


装束に身を包み、ホラ貝を吹いているかたがいらっしゃいました。
お寺のお坊さまかと思ったのですが、どうやら巡礼者のようです。
このかたのお参りのスタイルのようです。

こちらは駐車場への通用口のようですので
仁王門のほうに回ってお参りしたいと思います。

長谷寺2


仁王門

長谷寺3


いつものように金剛力士像にご挨拶です。

長谷寺5 長谷寺4


なかなかの肉体美です。

山号の白岩山というのは、修験行者が白い巨岩を運ばせて
この地に修行の場を作ったという伝説に基づいているそうです。
噴き出す汗に、我々もまったく、灼熱地獄の修行を行っているような気分です。

寺伝では、延暦・大同(782-810)の頃に、
伝教大師、弘法大師が来錫(らいしゃく)し、
文徳天皇(851)の御代、在原業平が堂宇を修営したとのこと。
後に、源義家、新田義貞などの武将が信仰し、
天文元年(1532)、上杉憲政が伽藍を整えたそうです。
周囲に特に何かあるというところではないのですが、
ともかくものすごいご由緒のあるお寺なのはわかります。

長谷寺では鐘楼の鐘をつくことができたので
お参りの前にゴーンとひとつ鳴らしました。

長谷寺6


本堂(観音堂)

長谷寺8


長谷寺は、永禄6年(1563)、武田信玄の箕輪城攻めの兵火で焼失、
現在の観音堂は信玄の子、勝頼が再建しました。

唐破風の向拝の彫刻

長谷寺7


色彩のある彫刻が見事ですね。

観音堂の天井画・天人奏楽

長谷寺9


大きなお寺ではないのですが、大変に意匠が凝らされています。

拝観料ひとり200円で堂内に入ることができます。
ご本尊の十一面観音立像は平安時代後期(藤原時代)の作とされ、
総高230センチ、像高180センチ、榧(かや)材の一木割矧造(いちぼくわりはぎづくり)、
目は彫眼で素木仕上げの秘仏です。
常時拝観できる御前立ちの十一面観音立像は、総高270センチ、像高186センチ、
桧(ひのき)の寄木造、目は玉眼で、全体に金箔が施され、鎌倉時代の作とされています。

堂内でお参りしました。
立派な御前立観音は黄金に輝き、優雅な気品を放っていました。
後ろに大きなお厨子があるのですが、
よく見てみると扉が開かれているような・・・。
そして、ちらりと人間大の黒い影が。
秘仏が御開帳されていたようです。
御前立の後ろで、まったく影のようにしか見えなかったのですが
ものすごくありがたい気持ちになりました。

御朱印をいただきました。

坂東十五番
白岩山 長谷寺
大悲殿
午歳結縁

長谷寺10


お参りを終えた頃には暑さでフラフラです。
いや〜、参った、参ったヾ(・ω・`;)ノ


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