坂東三十三観音
第二十二番札所
佐竹寺
(北向観音)
さたけでら
(きたむきかんのん)






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国宝の威光を放つ寺 坂東観音第22番 佐竹寺


2014-06-07

もぐままの坂東三十三観音巡礼、とうとう宿泊を伴う巡礼地へと
足を延ばすこととなりました。
マイカーで、といえど、坂東の最難関の札所を目指す
最もチャレンジングな巡礼となりそうです。

梅雨入りの前に、ワールドカップサッカーの前に、
(ワールドカップが始まると、ドライバーのもぐぱぱさんが
テレビ観戦のため運休されます(笑))、
ワールドカップ明けには、きっと厳しい夏が待っています。
ワタクシ、もぐままが運休に入ります(´・ω・`)

午歳の年内中に結願(けちがん)を目指すため
梅雨に入るまでに、ぜひ最難関をクリアしておきたかったんです。
直前に宿を取るというのが困難なところのようだったので
宿泊所を予約したら・・・先に梅雨に入ってしまいましたヾ(・ω・`;)ノ
そして、いきなり記録的な雨量の大荒れの梅雨入りとなり・・・。

さてさて、もぐままのドタバタ坂東観音巡礼、
どうなりますことやら。
6月7日(土)、茨城方面へと出発です!

傘マークひとつの天気予報通り、雨が降る中、高速を走ります。
雨のおかげ?か、行楽地に向かう人が少ないのでしょう、
渋滞ひとつかからずに、茨城県入りができました。

まずやって来たのは、茨城県常陸太田市にある
坂東第22番札所の佐竹寺(さたけでら)、別名北向観音(きたむきかんのん)。

仁王門

佐竹寺1


さきほどまで降っていた雨が、ほぼ上がっていました。
観音さまのご加護でしょうか(*^_^*)
下調べしていると、規模の小さなお寺であまり見るべきものがないのかな、
なんて思っていたんですが、なんのなんの、そんなことはなかったのです。

先に反応したのはもぐぱぱさん。
「おっ」っていう感じで、「えらく古びて、えらく荒れている・・・。」
もぐまま「こんな寂れたかんじのお寺のほうが味わいがあるよねぇ。」

佐竹寺2


もぐぱぱ「屋根瓦が崩れてるよ・・・。」
(「落下物注意」の看板が。)

しかし、気付いたのです。

佐竹寺3


この荒れたお寺の本堂が「国宝」。
「こくほー!」 (◎o◎)

ちょっとウィキを調べてみたんですが、

「国宝」という語の指す意味は文化財保護法施行(1950年(昭和25年))以前と以後とでは異なっている。文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財(美術工芸品および建造物)はすべて「国宝」と称されていた。 (・・・) 文化財保護法施行の日である1950年(昭和25年)8月29日付けをもってすべて「重要文化財」に指定されたものと見なされ、その「重要文化財」の中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものがあらためて「国宝」に指定されることとなった。混同を避けるため旧法上の国宝を「旧国宝」、文化財保護法上の国宝を「新国宝」と通称することがある。


現在では、佐竹寺の本堂は、国の重要文化財という指定のようですが、
旧国宝であることは間違いないのでしょう。

仁王像(金剛力士像)

佐竹寺4 佐竹寺5


ムキムキマッチョ、筋肉には血管の筋。

本堂(観音堂)

佐竹寺6


ものすごくりっぱな茅葺きの屋根です!

佐竹寺7


寛和元年(985)花山法皇の命により元密上人が創建。
法皇護持の聖徳太子作と伝わる十一面観音を祀り、
現在も秘仏としてその観音さまが祀られています。
佐竹寺は佐竹氏発祥の寺で、
初代佐竹昌義はこの寺で奇竹を発見し、これぞ出世の瑞兆なり、と
源姓を佐竹に改めたという伝承があるそうです。

仁王門の扁額の上に掲げられていた赤月印に五本骨扇は
佐竹氏の軍扇です。

佐竹寺8


天文15年(1546)佐竹18代義昭が佐竹城の鬼門除けとして
現在の地に再建し、北向(きたむき)観音と呼ばれます。
本堂は桃山建築の先駆けの唐破風(からはふ)、
見事な花頭窓(火灯窓・かとうまど)や海老虹梁(えびこうりょう)などを配し、
これが国重文たるゆえんなのでしょう。

本堂の唐破風と観音様、お地蔵様

佐竹寺9


花頭窓

佐竹寺10


彫刻がなされた木鼻(きばな)と海老虹梁、ユニークな丸窓

佐竹寺11


本堂の扉からは午歳のお手綱が出ています。

お手綱と鰐口(わにぐち)

佐竹寺13


外側から丸窓を覗いてみます。
やっぱりワンダフル(!)な佐竹寺ヽ(*´∀`)ノ

佐竹寺12


しかし・・・お気づきのかたはあるでしょうか?
遠景での本堂の写真に倒壊した灯籠が写っています。

これです。

佐竹寺14


2基共に全壊です。
新しく倒れたように見えます。
それまでのドライブで、東日本大震災の被災の様子はあまり感じられないね、と
もぐぱぱさんと話をしていたのですが
(もぐぱぱももぐままも関西出身で、阪神淡路の後、
もぐぱぱの実家は被災し、また街中がブルーシートに覆われ尽くしていたのを
見ています)
これは東日本の被災の爪跡なのではないか?と。
調べてみたら、やはりそのようです。

しかし、本堂が国の重要文化財であるにもかかわらず、
それを取り囲む建造物の傷みがそのままになっているというのは
どういうことなのでしょう。
きっと予算が下りないのでしょうね。
それでも、明治維新の廃仏毀釈で荒廃したお寺をここまで
復興させたのは前住職の努力があったからだそうです。
佐竹寺では、拝観料もお取りになりませんし、
なんだかとても複雑な気持ちになりました。

もぐままはお金持ちではありませんし、ただのにわか巡礼者です。
何のお役にも立てそうにないのですが、せめてブログにこの事実をしたためて、
ひとりでも多くのかたがお寺に興味を持ってくださり、お参りをして、
御朱印や授与品をいただかれて、何かしらのお寺の寄与になればと思います。
鎌倉のお寺も、あちこちで修復工事が行われ、ご寄付を募られていますよね。
自分の子や孫の世代まで、こういった歴史的遺産ができるだけ多く
残っていて欲しいと願うばかりです。

御朱印をいただきました。

坂東二十二番
佐竹寺
大悲殿
午歳結縁

佐竹寺15


御朱印所で、ご年輩の大おばあさまが奥から出て来られ、
丁寧に丁寧にゆっくりと書いてくださいました。
家ねこちゃんが何匹かのっそり現れました。
御朱印のお礼を申し上げ、御朱印所を出て少し歩いたところで、
もぐぱぱさんが、「ねこが一匹一緒に出てきた」と。
「は?私、気付かずに扉を閉めて出てきちゃった。」
また雨が降り出しました。
ねこちゃんがすぐに中に入れてもらえていますように。


坂東三十三観音
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