秀吉が献木した「五色八重散椿」 洛陽三十三所観音 第30番札所 椿寺地蔵院
2015-01-16
千本出水にある
福勝寺を出て、次の札所、椿寺地蔵院までは、
1km余り、徒歩で20分余りで行けるようなんですが、
数々のタイムロスがあり、急いでおります。
千本出水のバス停の時刻表を見たら、1時間に3本のバスが行ったばかり。
どうしようかと悩んでいたら、ラッキーなことにバスのダイヤが乱れていたようで
10系統のバスがやってきました!
助かりました。
「北野白梅町」停で下車。
天神川(紙屋川)沿いに歩いて行けるようです。
一つ目の橋を渡ると椿寺地蔵院はありました。
お寺の前の石碑
左から「洛陽三十番地蔵院」
「夜半亭巴人墓所」
「義商天野屋利兵衛之墓
豊公愛樹五色八重散椿 此寺にあり」
でしょうか。
夜半亭巴人(やはんていはじん)は与謝蕪村の師、
天野屋利兵衛(あまのやりへえ)は忠臣蔵の赤穂浪士討ち入りに
協力したという堺の商人だそうです。
地蔵院が椿寺と呼ばれる由縁は・・・
この「五色八重散椿(ごしきやえちりつばき)」。
豊臣秀吉が北野大茶会の縁により献木したそうです。
つぼみはついていますが、まだまだ固そうで、
花時は、三月下旬から四月中旬ということなので、桜との競演に
なるのでしょうね。
樹齢120年の2世なんだそうですが、白、赤、薄紅、絞りなど
五色に咲き分け、また花ごと落ちるのではなく、花びらが1枚ずつ散るそうです。
花好きのもぐまま、この椿が満開になるさまを夢に見ます(*^_^*)
お花の頃にまた訪れてみたいなぁ。
椿寺 地蔵院は昆陽山地蔵院といい、神亀3年(726)行基菩薩が
聖武天皇の勅願によって、摂津国昆陽池のほとりに一宇を創建したのが
始まりだそうです。
あら、昆陽池!
関西以外のかたは読めないのではないでしょうか。
「こやいけ」は今も伊丹市にある池ですね。
地蔵院はその後、平安時代に衣笠山麓に移され、
室町時代に戦災で消失。
足利義満が金閣寺建立の余材で再建、
天正17年(1589)豊臣秀吉の命によって現在地に移されたとのこと。
関西出身のもぐまま、歴史も歴史上の大人物も、京都にいると、
何かしら自分とつながっているような身近さを感じます。
鍬形地蔵尊
乱暴な農民が、地蔵の化身である僧を傷つけたことで
心を入れ替えたという話が伝わるそうです。
とってもやさしいお顔のお地蔵さまでした。
観音堂
御本尊の十一面観音は平安時代、慈覚大師の作と伝わる秘仏で
お正月、お彼岸、8月の地蔵盆にご開扉されるそうです。
でも、御前立ちでしょうか、金色に輝く美しい観音様が見えました。
御朱印をいただきました。
洛陽三十三所観音 |
第三十番札所 |
椿寺地蔵院 |
つばきでらじぞういん |
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